タローのブログ

メンタル弱すぎキリスト者の徒然なるままの黙想

イエスの剣は心の奥底まで届く神の愛

ルカによる福音書 二章三四~三五節〉

シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 

 このシメオンの言葉はイエスの今後の生涯についての予言と言って相違ないでしょう。まさにイエスはその生涯において、多くの人を倒します。律法学者、ファリサイ派の人々、祭司までも、イエス・キリストの存在につまずきを覚え、彼らはイエスを知るに至らず、信じるに至らず、イエスは彼らによって「反対を受けるしるし」が押され、十字架に架けられて殺されるのです。その反対に多くの人がイエスから立ち上がる力をもらいました。イエスの弟子を始め、汚れた霊に取りつかれた者、病人、重い皮膚病を患っている者、罪深い女の人、十二年もの間出血が止まらなかった女の人、徴税人ザアカイ、などなど、多くの人をイエスは癒し、赦し、救いました。イエスのこの生涯の歩みによって「多くの人の心にある思いがあらわ」にされました。イエスによって倒される側、イエスにつまずく側の人々の心の奥底にある怒りや憎しみ、恐れ、嫉妬などの思いが表沙汰にされました。イエスによって立ち上がる力を得た側の人々の、これまでの人生で味わってきた、言うに言われぬ悲しみに満ちた思い、周囲の目をどうしても気にしてしまって自分の内に閉じ込めてきた思いが、イエスの前で公に解き放たれます。

 イエスはこのように、イエスに関わるどんな立場の人の思いをも受け入れ、それを暗闇から光あるところに表出させます。イエスは神に心の全てを究められても神に背を向ける様子が見つからない光なる方・神に対して開かれた方であったため、イエスに関わった人々の心の底にある暗闇がイエスの光によって照らされて、これまで見えなかった心、または暗闇が明らかにされるのです。人は誰しも、だれにも話すことができない悩みを抱えているものではないでしょうか。自分の心の隅に閉まって、誰にも見つからないようにしてしまいたい思いが、誰にでもあると思われます。しかし、イエスはその心の奥底に神の愛の光を届ける方です。イエスは、自分に罪があると思わない人に対しては、もしかしたら「あなたには実は罪がある。しかし、それでも神はあなたを求めている。」と言うことによって、その人に光をもたらし、その人の心を正しい位置に戻し、安らぎを与えてあげるかもしれません。または、自分は罪にまみれてしまっていると思っている人に対しては、「あなたの罪は全て赦され、ありのままの姿であなたは神に愛されている。そして、神はあなたを求めている。」と言うことによって、イエスはその人に、困難な中でも生き続ける力を与えるかもしれません。イエスはどんな立場の人に対しても、神の愛の光を注ぐことが可能な方です。イエスと出会った一人一人がイエスの剣で心が刺し貫かれます。イエスなる神の愛は剣となって゛私たち"の個別的罪、集団的・社会的・文化的罪を貫き、それを浄化し、強制的に罪に追いやられていた人を罪の束縛から解放します。神の愛は綱となって打ちひしがれた心につながり、その心を崖の底から引き上げ、光ある地上へと立ち戻らせ、人生を歩く力を取り戻させる。私はそのように信じています。

 シメオンはこの言葉を祝福をもって語りました。十字架の死も含まれたイエスの生涯は、私たち全ての人間にとって祝福なのであり、イエスの剣もまた、私たちに対する祝福なのです。私たちはイエスと出会うことによって、「イエスはキリスト、私たちの真実の救い主である」という祝福を受けます。イエスはその存在をもって私たちに神の愛を示し、神の子としての生き方を示します。イエスの剣によって神の存在が示された一人一人、つまりイエスと正式に出会った一人一人は、今度は自分でその剣を持ち、自分の生き方をもって神の存在を、時には無意識に気づかれないように、時には意識的に明らかに、示し続けていくことになるでしょう。神の愛、神の福音はその人の生き方に表され、その人が直面する現実に表されるでしょう。