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メンタル弱すぎキリスト者の徒然なるままの黙想

人間の網から救う神

ルカによる福音書 一章二四~二五節〉

その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

 

 

 主なる神はエリサベトを「人々の間から」救い給う。子を身ごもらせるという奇跡をもって、主なる神は、エリサベトを人と人との間にある複雑な苦しみから救ってくださいました。人と人との間には、何重にも絡み合った網があると皆さんは感じませんでしょうか。しかし、神は、その網から私たちを、強い御手によって引き出し給う。神に心を置く者は(神に失望した者でさえも)神に目を留めていただけます。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」、五か月もの間、――いや、本来は何十年もの間、エリサベトは精神的な意味で身を隠していたに違いないでしょう。――人々の目から身を隠していたエリサベトから発せられたこの言葉は、いかに神への讃美に満ちていることでしょう。その讃美は、この苦渋に満ち満ちた人間の生の中に降る永遠の輝きを放つ一粒の雫を見たかのごとくの讃美です。
人間は人との間に喜びと感謝と分かち合いの心を見出し、人との間に悲しみと苛立ちと奪い合いの心を見出すでしょう。しかし、神は人間に、「神との間」に見出す喜びと「神との間」に見出す嘆きを与え給う。神は私たちを「人々の間」という網から引き出し、「神との間」という関係に移し、私たちを〝時〟をもって導き、進むべき道を備え、進む中で倒れないように糧を用意していてくださいます。恐らく、エリサベトはそれまで失望し切っていました。何にもましてこの世の理に対して失望し、神に対して悲しいため息をついていました。しかし、神は、神に対して悲しいため息をつく者をも顧みます。神は、長い年月の沈黙と暗闇の中からエリサベトを引き出し、エリサベトを、「あたかも神を讃美しているかのように見える者」から、「まるで神をこの目で確かに見たかのように周りに感じさせる者」へと変えました。神は、神を知っていながら神に対して失望する者をも愛しており、現実のただ中に居給う神を知っていながら現実の世界に絶望する者をも愛してくださる。
 私たち人間には、「人間の網」をほどく力も知恵も与えられてはいませんが、神はその力と知恵を持っていらっしゃる。神に心を置く者たちの集まりにも、不信という糸で作られた「人間の網」は存在し得ますが、彼らの間には、信仰という「神の網」が張られています。彼らは「人間の網」にもまして、「神の網」によって絡めとられています。「人間の網」と「神の網」は、クモの糸の横糸と縦糸の関係に似ているかもしれません。その二つの糸はあくまで同一平面上に存在していますが、横糸はねばねばして私たちの心を捕らえる「人間の網」であり、縦糸は粘らず歩くことができる「神の網」です。神に心を置く者は、神が人と人との間にある憎悪や呪いよりも強い故に、横糸に捕らえられている者から縦糸を歩く者へと変えられ、この世のただ中という横糸の中でも、神に心を置くことを保つことが神から赦される存在となるので、地獄と思えるこの簡単に生物を踏みにじろうとする世の中にあっても、彼らは喜びを見出し、神を讃美できる心が神から与えられます。私たちは何度も何度も横糸に捕まってしまいますが、神によって何度も何度も縦糸に移されるのです。故にこのことを経験している者は、神を無暗に試みない!神に挑戦せず、神を嘲笑わない!神が人知をはるかに超えている方であり、縦糸を歩けるようになるときを再度何度も用意してくださる方であることを神によって知らされた故に、その者らは神の御名を尊いものとして大切に扱い続けます。失望していても、彼らはなお心を神に置きます。神は全ての被造物をお使いになり、神に心を置く者を「人間の網」から脱出させるでしょう。